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松田優作は「野生動物」往年のスターの素顔

名カメラマンが見てきたスターたちの素顔 - さまざまな作品で撮影監督を務めてきた仙元誠三
名カメラマンが見てきたスターたちの素顔 - さまざまな作品で撮影監督を務めてきた仙元誠三

 角川映画誕生40周年を記念し東京・角川シネマで開催中の「角川映画祭」で6日、『蘇える金狼』(1979)、『セーラー服と機関銃』(1981)など角川映画の代表作の撮影を担当した名カメラマン、仙元誠三がトークショーを行い、松田優作薬師丸ひろ子草刈正雄らとの貴重な思い出を語った。

 1938年に京都で生まれ、松竹に入社後、大島渚監督の『新宿泥棒日記』(1969)でフリーの撮影監督としてデビューした仙元。松田、村川透監督とのトリオで『最も危険な遊戯』(1978)にはじまる「遊戯シリーズ」や、テレビドラマ「探偵物語」(日本テレビ)などの名作を手掛けた。独特の長回し撮影や青みがかった画風で知られ、平成26年度文化庁映画賞の映画功労部門を受賞。今年1月に公開された『さらば あぶない刑事』でも撮影を担当した。現在78歳。

 進行役から「多くの名優を撮影していますが、特別な心構えは?」と質問された仙元。「何も考えていません。役者さんがうまくやってくれるから」とほほ笑みながら『蘇える金狼』、『野獣死すべし』(1980)、『探偵物語』(1983)などの角川映画を共にした松田について「優作は、日本の俳優の中でも特別な野生人間。頭も切れるけれど、行動が敏感で、野生動物みたいでした」と振り返る。

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 『セーラー服と機関銃』から『Wの悲劇』(1984)まで、女優として成長を撮影で捉えた薬師丸について聞かれると「(『セーラー服と機関銃』の)相米慎二監督とひろ子は、最初から人間として理解し合っていて、僕らは嫉妬するくらいだった。普通の女優さんと違う何かがあって、業界人のあいさつ(夜に「おはようございます」など)はしたくない、夜は『こんばんは』と言いたいというんです。ハッとして僕らも見習わなきゃと思わされました」と語る。

 さらに、角川春樹初監督作で草刈主演の『汚れた英雄』(1982)では、角川監督がバイクで遊んでいる最中に転倒し、その事故に気付かなかった草刈が、角川監督からその後イジメに近いダメ出しをくらった話など、今だから話せるエピソードも披露。「今後、監督業は?」と問われた仙元は「僕は頭も悪く機転も利かないから、監督はダメ。でも人生にツキがあって周囲に助けられ、監督さんが僕を選んでくれて仕事できたようなもの。そんな映画界が今も大好きですね」と答えていた。

 「角川映画祭」では、角川映画第1作となった市川崑監督の『犬神家の一族』(1976)から、昭和終了の前年、1988年の宮沢りえの映画デビュー作『ぼくらの七日間戦争』までを一区切りとし、書籍、テレビ、映画を使ったメディアミックスで一大旋風を巻き起こした角川映画48作品を一挙上映。仙元が撮影監督を務めた11作品も、同期間中に上映される。(取材/岸田智)

角川映画誕生40年記念企画「角川映画祭」は9月2日まで角川シネマ新宿にて開催中
ほかに愛知、大阪、福岡で順次開催

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