略歴: いまさちえ/映画、海外ドラマライター。『BAILAバイラ』『eclatエクラ』『日経エンタテインメント!』『日本経済新聞 電子版』ほかに連載・執筆中。ほかにプレス、劇場パンフ、各局のHPなどに寄稿。時々、映像のお仕事。著書に『海外ドラマ10年史』(日経BP社)。海外ミュージカルファン。
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映像化作品には恵まれないディーン・クーンツの原作×スティーヴン・ソマーズの顔合わせ。最初から”そこそこ”だと思って見れば、案外楽しみは多いスリラーだ。
惨劇が起こるはずの”Xデー”までがやや長く感じるが、事件の核心はスーパーナチュラルを巧みに使ったミステリーの要素が面白く、全貌が見えるとなるほどという感じで原作に興味がわく。
映像に目新しさはないが、何より時にコミカル、時にシリアス、結構アクションと活躍する、見えないものが見える”フリーター・ヒーロー”ことアントン・イェルチンの頑張りが見もの。ウィレム・デフォーもいい味。肩の凝らないポップコーンムービーとしてはアリ(1週間限定公開)。
実話に基づく本作は、重要な現代社会の問題を内包している。SNSを利用したセレブ宅への空き巣行為に、自らの犯行をSNSで自慢するという愚かさ。見目よい娘を利用して一稼ぎしようとする親。そんな彼らを瞬間的に有名人に祭り上げるTVのリアリティーショーについては、供給する側も観る方もどっちもどっちである。
映画はそうしたネット社会やメディアの現状へのアンチテーゼかと思えば、若者が窃盗に興じる姿がオシャレに描かれても許容できると思った。が、結局のところ、本作は先に述べたリアリティーショーと同じ役割を果たしているに過ぎないという虚しさ。お説教映画である必要はないが、この”やりっ放し”感は不快だ。
誰もがよく知る、おとぎ話のアレンジバージョンは映画で人気だが、アメリカのTVドラマ『ワンス・アポン・ア・タイム』より独創的な作品はなし。と、思っていたが、スペインのパブロ・ベルヘによる本作は、白雪姫と闘牛士をミックスさせるという発想が秀逸だ。
主人公のつぶらな瞳の無垢さとは裏腹に、彼女を取り巻く世界は奇妙に歪んでいて、時にグロテスク。おとぎ話はおとぎ話でしかなく、現実は試練の連続であることを、モノクロ&サイレントを用いて、これほどまでに美しい悪夢として描くことができるとは! 幻想的なおとぎ話の世界観と実社会の醜悪さが巧みにブレンドされた映像世界は、文字通り美しく残酷な大人のための寓話だ。
邦題が示すように、宇宙の無重力空間を体感できる本作は、まさに3Dの新たな可能性を示してくれる革新的なものだ。だが、終わってみればふわふわとした浮遊感以上に、原題のGravity=重力をしっかりと感じさせるドラマに心を揺さぶられた。
サンドラ・ブロック演じる主人公のように、人は皆、時に真っ暗闇の無重力空間で漂っているようなものなのかもしれない。そこから今一度人生を取り戻していく再生の物語が、すとんと落ちる構成のなんと鮮やかなことか。
スペクタクルな映像は圧巻! 同時に、アルフォンソ・キュアロンは無類のストーリーテラーであることを痛感させられる。
『火天の城』で城作りの過程を見事に再現してみせた田中光敏らしく、ディテールに凝った美術やセットによる画作りは見応えがある。
ストーリーテリングが上手くないのは残念だ。利休が切腹に至るまでの過程と並行して描かれる、彼が終世胸に秘めたものとは何かというミステリーの引っぱりがキモであるにも関わらず機能していない。よって終盤で明かされる本作の核心が、唐突に感じられて鼻白む。
市川海老蔵の役作りは評価が分かれる点だろう。挑戦的で斬新な利休像を体現する一方で、終始力んだ演技は全てが絵空事にも思えてしまうし、『一命』ともかぶる。映画全体を一種の様式美と捉えるならば、海老蔵のアプローチは正解と言えるか。