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萩ツインシネマに見るミニシアター・エイド基金を得た今

映画で何ができるのか

萩ツインシネマ
萩ツインシネマが入るヤングプラザ萩(萩市東田町)。

 コロナ禍で経営危機に直面した全国のミニシアターを支援しようと濱口竜介監督、深田晃司監督らが発起人となったクラウドファンディング「ミニシアター・エイド基金」は、連携するTポイント(Tカード)からの募金者を加えると支援者は3万人を超え、計3億3,102万5,487円を集めて大きな話題を呼んだ。支援金は参加劇場(118館)・運営団体(103)に均等分配されたが、山陰地方西部の唯一の映画館である萩ツインシネマ(山口)もそのうちの一館だ。支援金がどのように活用されたのか取材した。(取材・文:中山治美)

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自称“日本一遅く公開する劇場”

上映スケジュール
11月下旬の上映スケジュール。大作からインディペンデント作品まで幅広い作品が並ぶ。

 初代内閣総理大臣・伊藤博文や鉄道の父こと元鉄道庁長官の井上勝ら近代日本を築いた多くの人材を輩出した歴史ある街・萩。萩ツインシネマは、江戸時代に藩主が参勤交代で使用する「御成道」として整備された旧街道沿いに建つ、昭和レトロなビル・ヤングプラザ萩の3階にある。

 この日上映されていたのは、8月21日の全国公開から遅れること約2か月半の菅田将暉小松菜奈共演の『』(瀬々敬久監督)。多くの動員が見込めない地方映画館は配給会社に支払う最低保証金額など上映にかかる諸経費を抑えるため、メジャー作品は特に公開時期に時差が生まれてしまう。自称日本一遅く公開する劇場

ロビー
レトロモダンな内装のロビー。

 1980(昭和55)年創業(前身はキラク館。1996年に現名に改名)の年季の入った映画館ゆえに寒さは否めず、入り口に用意されているひざ掛けを手に、足元を温める電気ヒーターが設置されている席に陣取るのがこの時期の萩ツインシネマの風物詩だ。柴田寿美子支配人が「寒いという投書があったので苦肉の策の対応です」と苦笑いを浮かべながら説明する。

歴代の映写機
ロビーの片隅には歴代の映写機が展示されている。

 それでもここには都心のシネコンにはない温もりがある。『糸』を鑑賞するのは3回目だという常連客は「『罪の声』は上映するの?」と柴田支配人に声をかける。入館時に手渡される映画館情報紙「月刊アシタシアタ」は思いっきり手描きで、正直に「この2020年の終わりに『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』という化け物映画がやってきた。いろんな要素があっての、あの『千と千尋の神隠し』超えもみえてきた。やるしかないので1月にはやります」と現在、配給会社と交渉中という舞台裏事情も包み隠さず記載されていて、ゆるい笑いを誘ってくる。

月刊アシタシアタ
萩ツインシネマの情報誌「月刊アシタシアタ」。手描きが良い味を醸し出している。

 これまた遅れること11月に上映された夏休み映画『映画ドラえもん のび太の新恐竜』の際には、おじいちゃんとおばあちゃんが孫を連れて鑑賞に来たものの、怖いと言って上映中にぐずり始めてしまい、対応に追われたことがあったという。

 「なので、後ろの扉を少し開けて、お子さんにはそこからスクリーンを見てもらうようにしてもらいました。でも次第に映画に夢中になってきて、途中からちゃんと着席してくれました。その間、周囲のお客さんは誰一人文句を言わず状況を見守ってくれた。地方の映画館ならではの良さですよね」(柴田支配人)

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地方の映画館を取り巻く厳しい環境

シネマ
青が基調のシネマ1はイベントや貸しホールとして利用している。

 ただ、映画館を取り巻く環境は厳しい。萩ツインシネマは2004年4月に一度廃業し、同年8月に地元有志らが発足したNPO法人萩コミュニティシネマによって復活した経緯がある。

シネマ2
赤が基調のシネマ2。

 廃業の要因の一つにシネコンの台頭があるが、さらに深刻なのは他の地方都市同様の人口減少だ。萩市は1955(昭和30)年の9万7,744人をピークに減少し続け、2020(令2)年3月末時点で4万6,015人(萩市調べ)。映画館経営は人口5万人を切る街では厳しいと言われており、すでにそのラインを下回っている。

温熱ヒーター
防寒対策用の温熱ヒーター。

 NPO法人を立ち上げた際の運営試算では年間2万人の観客動員を目標としていたが、世界的に大ヒットした映画『アバター』(2009)を上映した年も、地元で撮影された佐々部清監督『八重子のハミング』(2016)を上映した年もその数字を超えたことはなく、近年の年間動員数は6,000~7,000人だという。

膝掛け
劇場内に入るときには膝掛けをどうぞ!

 それでもなんとか経営を維持できているのは、市民ボランティアの尽力があってこそ。萩コミュニティシネマの高雄一壽理事長の本業は歯科医。本当は映画の仕事に就きたかったそうで、映画への愛情は半端じゃない。柴田支配人は、島根から萩の農家に嫁いだ移住者。現在は映画館の支配人と経理のほか、高校の非常勤教師、そして夜は居酒屋でアルバイトと掛け持ちをしている。他のスタッフもここではダブルワークが基本だ。経営のスリム化と人件費の削減で乗り切っているのが実情だという。

柴田寿美子支配人
農業・非常勤講師・居酒屋店員・主婦、そして映画館支配人として奮闘する柴田寿美子支配人。

 「映画館を残したいという思いはあっても、赤字続きで“なんでやり始めちゃったんだろう”と思うときもありました。でもそうこうしているうち、テアトル徳山(2012年閉館)、山口スカラ座(同)、岩国ニューセントラル(同)と周辺の映画館が次々となくなってしまった。ちょうどフィルムからデジタル映写機へと切り替わるタイミングです。ウチは2009年にデジタル映写機を導入しましたが(経済産業省の地域商店街活性化事業補助と萩市の文化団体活動費補助を活用)……、閉館のタイミングを逃しましたね(苦笑)。これまでイベントやワークショップなどさまざまな手を尽くしましたが動員につながらず、もう辞めてもいいかな? ウチが頑張っても……と何度も考えました」(柴田支配人)

客席数を制限して営業
現在は客席数を制限して営業を行っている。

 あきらめたくなる気持ちを支えたのが、SNS時代の到来で可視化された市民の声だという。

 2019年2月、萩ツインシネマでは1台しかないデジタル映写機が故障し、休業を余儀なくされた。3月からは映写機をレンタルして急場をしのいだが「辞めどきかなと思った」(柴田支配人)という。だがSNSなどで状況を知った市民から存続の声があがったことで背中を押された。4月に映写機購入のためのクラウドファンディングを実施したところ、全国から目標金額の300万円を上回る432万5,000円が集まった。

 そのほか、約250万円の寄付もあり無事に新たな映写機を購入することができた。それは金額以上に柴田支配人らスタッフの心を焚き付けた。公式サイトの一新に始まり、スタッフと観客をつなぐ情報誌「月刊アシタシアタ」の発行に、柴田支配人自らが広告塔となり体を張って上映作品を紹介するYouTubeチャンネル「Twin Tubeツインシネマ」の開設など、積極的に情報の発信を始めた。

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立て直している矢先にコロナ禍の猛威が

コロナ退治のお札
シネマ2の扉には、豊田利晃監督から贈られたコロナ退治のお札が貼られている。

 「今年は頑張らなきゃと思っていたところに、コロナ禍が来たんですよね」(柴田支配人)

 新型コロナウイルス感染症の影響は今年2月26日、国から大勢が集まるスポーツやイベントに対して延期または規模縮小等の要請が出たことから休館する映画館が相次いだ。4月7日には東京など7都府県で緊急事態宣言が発令され、さらに同月16日にはそれが全国へと拡大し、全国の映画館が閉めた。

片渕須直監督や佐々部清監督のサイン
ロビーの片隅には歴代の映写機や『この世界の片隅に』の片渕須直監督のサインや、佐々部清監督の応援メッセージとサインが入った『ツレがうつになりまして。』の特大ポスターが展示されている。

 しかし山口県では映画館に対する休業要請が出ていなかったこともあり、萩ツインシネマは唯一営業を続けた。ただし客は来ない。1日の観客がたった一人という日もあったという。そんなときにミニシアター・エイド基金への参加の依頼が深田晃司監督から届いた。同基金は経営危機に置かれた全国のミニシアターを救うための救急支援策。

 4月13日にプロジェクトをスタートさせて5月14日に終了。分配金(1団体あたりの平均額は約303万円)は2回に分けて配布され、5月末には1回目の分配金が各団体に振り込まれるという迅速さだった。

フィルムの映写機
フィルムの映写機が残る映写室。

 「ミニシアター・エイド基金は本当に有り難かったです。コレクターへのリターン特典である未来チケット(基金に参加する劇場で使用できる鑑賞券。ただし使用劇場はコレクターがあらかじめ選択する)で萩ツインシネマを選んでくれた方もかなりいらして、驚きました。何より分配金を得て運営に多少余裕ができたことで、2019年に再スタートを切ってまだ手探り状態でいるわたしたちに思考する時間をいただけたと思ってます」(柴田支配人)

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新たな挑戦としてibasho映画祭を開催!さらにその先も

萩の街
田床山から望む萩の街。『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』や『八重子のハミング』のロケ地となった。

 その言葉通り、分配金を得たからと言って手をこまねいているわけではない。教育者でもある柴田支配人は、映画を使った使った若手支援企画を実施。それが2020年7月に行ったのが、第1回ibasho映画祭。近隣の広島・呉で撮影が行われた、学校に居場所のない少年たちが、図書館司書との交流で新たな一歩を踏み出す映画『君がいる、いた、そんな時。』(2019)の上映を通して、うつ病で入退院を経験した同作の迫田公介監督、発達障害と学習障害があり、いじめを経験した映画コメンテーターの大橋広宣さんをゲストに生きづらさを抱えた人の居場所について考えるシンポジウムを開催した。これからも継続して行っていきたいテーマだという。さらに、萩の観光の活性化も兼ねたイベントも企画中だ。

佐々部清監督追悼コーナー
館内に設けられた佐々部清監督追悼コーナー。佐々部監督は山口県下関出身で、多くの作品のロケを山口で行い、地元の魅力を伝えた。

 「こんなに映画館に人が入らないと、(行政の)助成がどうとか、日本の映画興行のシステムに問題があるとか言っていられない。お客さんを引きつけられない自分たちが悪い。だから自分たちが動かなければ。昨今はSNSなどが普及して、自分たちでお金をかけずに情報発信ができる良い時代になったと思います。今は希望の方が大きい」(柴田支配人)

観客へのメッセージ
館内の片隅に貼られた観客へのメッセージ。

 その柴田支配人の映画館に懸ける情熱はどこから来るのか?

 「わたし自身は映画館のない島根の旧八雲村(現・松江市)で育ち、映画を観る習慣がなかった。なので大学時代、映画好きの友人に『映画に1,800円も払うなんてもったいない』と言ってしまったことがあるんです。するとその友人に『たった1,800円でこんなに充実した時間を過ごせるのに、そこにお金を使えないなんて、つまらない人間だ』と言われてしまった。それは衝撃的でした。なぜ、あんなことしか言えなかったのか。映画に対して懺悔したいという思いが、今の自分を駆り立てているのかもしれません(苦笑)」(柴田支配人)

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