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東日本大震災後を追い続ける映像作家たち

山形国際映画祭30年の軌跡

山形国際ドキュメンタリー映画祭30年の軌跡 連載:第7回(全8回)

 東日本大震災が起こった2011年。山形国際ドキュメンタリー映画祭(以下、YIDFF)では即座に東日本大震災復興支援上映プロジェクト「ともにある Cinema with Us」を始動させ、第12回(2011)では被災地を捉えた29本の映画の上映とシンポジウムを開催した。惨状をダイレクトに伝えた作品はどれもが生々しく、心をざわつかせた。中でも森達也らが共同監督を務めた『311』(2011)は論争を巻き起こすこととなる。もはや災害大国となった日本を映像作家たちはどのように見つめてきたのだろうか。(取材・文・写真:中山治美、写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

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未曾有の大惨事にいても立ってもいられず

映画『311』
東日本大震災2週後の景色と人々の混乱ぶりが収められている映画『311』。(C)森達也・綿井健陽・松林要樹・安岡卓治

 ドキュメンタリー映画『311』は、映画監督・森達也と松林要樹、戦地での取材経験も豊富な映像ジャーナリスト・綿井健陽原一男監督『ゆきゆきて、神軍』(1987)の助監督を務めた映画プロデューサー・安岡卓治の4人が東日本大震災発生から2週間後に、福島、宮城、岩手と車を走らせた映像記録だ。未曾有の大惨事にいても立ってもいられず、カメラ片手に現場視察に向かうのは彼らの性分。

 だが目の前の惨劇に言葉をなくし、放射能の脅威にうろたえ、何を取材すべきかさまよった。百戦錬磨の彼らですらなすすべもない状態に、被害の大きさを実感させられた。さらに遺体発見現場に遭遇してカメラを向けたところ遺族から棒を投げつけられる場面もあり、災害報道の在り方を突きつけられた。

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森達也監督、安岡卓治監督
第12回(2011)の『311』上映後、質疑応答を行った(写真左から)森達也監督、安岡卓治監督。(撮影:中山治美)

 舞台裏むき出しの内容に、観客の意見は賛否分かれた。痛烈に批判した一人が、日本映画学校(現・日本映画大学)教授でもある安岡プロデューサー(以下、安岡P)の教え子で、ドラマ「山田孝之の東京都北区赤羽」を山下敦弘監督とともに手掛けた松江哲明監督だ。松江監督が説明する。

 「YIDFFで観た後、安岡さんに『これって全部NGじゃないですか』と言いました。未編集のものをそのまま上映したと思ったのです。安岡さんからは学生時代、“安易にドキュメンタリーを撮るな”と指導されてきたし、音も大事だと散々指導を受けていた。なのに何もかもが整理されていないままで、言っていたことと全然違うじゃないですか! という気持ちだったのです」

安岡卓治プロデューサー、森達也監督、松江哲明監督
第6回(1999)に『A』(1998)で参加した(写真左から)安岡卓治プロデューサー、森達也監督、右端に『あんにょんキムチ』(1999)の松江哲明監督。(写真:山形国際ドキュメンタリー映画祭)

 安岡Pにとっては批判も覚悟の上での上映だったという。作品の明確なビジョンもないまま向かった被災地で味わったのは、自分たちの無力さであり、それでも何か取材しなければと題材を探した自分たちの鬼畜さで、全員が自己嫌悪に陥った。だから松江監督の批判も「その通り」と受け止めたという。

 「作り手の僕らの最低なところが全部出ている。きれいごとで並べて作ることはいくらでもできるけど、この映画は本来なら外すべきと考える部分を中心に編集しました。それを出すのが、自分たちの責任だとも思いましたし、総括して、これが俺たちなんだと自己確認しなければ次へは進めない。そういうつもりで作品にしました」と安岡Pが当時を振り返る。

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継続して被災地と向き合う

波伝谷に生きる人びと
宮城県南三陸町の漁村、波伝谷(はでんや)の人たちの震災前の生活を切り取った我妻和樹監督『波伝谷に生きる人びと』。(C) 2014 hadenyaniikiru.wix.com

 その言葉通り、映像作家として足元を見つめた4人はそれぞれの場で、震災後の世界を追い続けている。綿井監督は戦場に戻りドキュメンタリー映画『イラク チグリスに浮かぶ平和』(2014)を制作し、森監督は『FAKE』(2016)に続いて『i-新聞記者ドキュメント-』(11月15日公開)で日本の報道の問題点に切り込む。松林監督は『祭の馬』(2013)で福島第一原発事故の影響の大きさを追い、安岡Pは継続して被災地と向き合っている。安岡Pが『311』以降に携わった震災関連映画は、編集で参加した『遺言 原発さえなければ』(2014)、プロデューサーを務めた『赤浜ロックンロール』(2014)など、実に7~8本に及ぶという。

我妻和樹監督
第15回(2017)に『願いと揺らぎ』(2017)でインターナショナル・コンペティション部門に選出された我妻和樹監督。(撮影:中山治美)

 さらに、サポートした作品もある。我妻和樹監督の映画『波伝谷に生きる人びと』(2014)だ。あのYIDFFでの『311』の上映後、夜の社交場・香味庵で安岡Pに声をかけてきたという。以来、2人の交流が始まった。

 「香味庵で何を話しかけたかよく覚えていないのですが、震災のこととかではなくて、ドキュメンタリーの撮影姿勢に関することだったような気がします。安岡さんは、何者でもない若者の僕に対して適当な対応をせず、真面目に話を聞いてくれました。多分、(自分の)熱さは伝わったのだと思います。そして名刺をくれました。その日、ホテルで泣きました。安岡さんの対応がうれしかったのと、映画は出来てないけど、あきらめたくない、きっと山形に戻ってくると思って泣きました」(我妻監督)

小熊英二
第14回(2015)の「ともにある Cinema with Us』では『首相官邸の前で』(2015)の監督で社会学者の小熊英二(写真中央)もディスカッションに参加した。(撮影:中山治美)

 我妻監督は東北学院大学文学部史学科出身。在学中の2005年より、同大の民俗学研究室と東北歴史博物館との共同で、宮城・南三陸町波伝谷の民俗調査に参加した。土地とそこに生きる人たちに魅力を感じた我妻監督は、卒業後も波伝谷に通い、ドキュメンタリー映画の制作に着手していた。しかし編集作業に入っていた時に東日本大震災が起こり、波伝谷も我妻監督自身も被災した。波伝谷で親しくしていた人たちも犠牲となり、しばらくは彼らの姿も映した240時間の映像と向き合う心境にはなれなかったという。

 そんな時、YIDFFで「ともにある Cinema with Us」と題した特集上映が組まれるというニュースを耳にした。震災後に作られた映画がたくさん上映される中で、未だ震災前の映像を映画として形にできていないことを恥ずかしく思っていた我妻監督は、山形へ行くべきか否か、迷った。しかし「逃げてはいけない」(我妻監督)と自分を奮い立たせてYIDFFに参加したのだった。

 出会い以降、安岡Pは南三陸で行った我妻監督の試写会に駆けつけただけでなく、「すごい映像だから、2時間に納めればきっと劇場でも上映できる」と何度かアドバイスもしてくれたという。安岡Pが我妻監督の作品に惹かれた理由を語る。

 「彼の民俗学研究映像も観ましたけど、波伝谷地域の伝統芸能や風習をきっちり撮っていてすごく重心が低くていいなぁと思いました」

 かくして『波伝谷に生きる人びと』は2013年に完成し、誓い通り、第13回(2013)のYIDFF 「ともにある Cinema with Us」で上映されて山形に帰ってきた。続いて、震災後の波伝谷を追った『願いと揺らぎ』(2017)は第15回(2017)のYIDFFインターナショナル・コンペティション部門に選出された。同作は復興に向けて徐々に歩みはじめた波伝谷の人たちを捉えつつ、『311』にも通じる、どこまで彼らの心に踏み込んでいいのかに苦悩する撮り手の素直な“揺らぎ”がそのまま映し出されていた。そして今、南三陸を舞台にした新作の編集を行っている最中だという。

 「今よりも、何もない若者だった2011年当時の方がいろんな思いを抱えていたように思います。そして山形にはそうした若者がたくさん来ていると思うんですね。きっと僕が経験したような大事な出会いがたくさんあるんだろうなと思います」(我妻監督)

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日本同様、台湾でも災害映像記録の意義に注目

台湾マンボ
今年の「ともにあるCinema with Us」で上映されるホアン・シューメイ監督の『台湾マンボ』(2007)。

 そして今年も2年に一度の、映画を通して震災後の日本を総括する濃厚なひとときがやってくる。今回は台湾文化部並びに台北駐日経済文化代表処台湾文化センターとの共催で、日本同様に災害の多い台湾と災害映像記録の重要性とその文化の意味を問う。日本からは、東日本大震災の時にボランティアで訪れたのをきっかけに岩手・陸前高田に移住し、『息の跡』(2016)で第14回(2015)の「ともにある Cinema with Us」に参加した映像作家・小森はるかが、アートユニットを組む画家・瀬尾夏美と制作した新作『二重のまち/交代地のうたを編む』で再び、参加する。

二重のまち/交代地のうたを編む
小森はるか・瀬尾夏美監督『二重のまち/交代地のうたを編む』photo by Tomomi Morita

 ちなみに今回、松江監督に改めて『311』の上映時の安岡Pに放った言葉の真意を確かめようと連絡したところ、実は同作のDVDを購入していたことが判明した。

 「しかも結構繰り返し観ているんですよね(苦笑)。森達也さんたちが冷静さを失うぐらいの惨事で、あの熱狂の中で作った映画なのだと感じます。しかも、当時の社会のもやもやとした空気まで全部映っている。今の社会が全部スルーしているがここに映っているから、あの時の感情を忘れないためにも観なきゃという気持ちになります」(松江監督)

安岡卓治、森達也、ウー・イフォン監督
第12回(2011)に行われたシンポジウム「震災と向き合って」に参加した(写真左から)安岡卓治、森達也、台湾映画『生命(いのち)- 希望の贈り物』(2003)のウー・イフォン監督。(撮影:中山治美)

 そして安岡Pは語る。

 「松江監督も彼なりに悩んで、『311』の上映後、“僕は絶対被災地は撮りません。東京を撮ります”と『トーキョードリフター』(2011)で311直後の自主規制や計画停電で街から明かりが消えた東京を撮った。皆、自分のスタンスを取り戻す大きな出来事だった。まさに時代の裂け目で、あそこから人間や社会の在り方だけでなく、嫌というほどの日本の政治構造や利権構造が一気に見えてきた。映画だけでなく、美術や文学もそれとどう向き合うのかが、今、問われているのではないでしょうか」

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【懐かしアルバム】濱口竜介監督

濱口竜介監督、酒井耕監督
第12回(2011)に『なみのおと』で参加した時の(写真左から)濱口竜介監督と酒井耕監督。(撮影:中山治美)

 映画『ハッピーアワー』(2015)が第68回ロカルノ国際映画祭、映画『寝ても覚めても』(2018)が第71回カンヌ国際映画祭に選出され、海外でも注目を浴びる存在となった濱口竜介監督。

 濱口監督も東日本大震災時に東京藝術大学大学院映像研究科監督領域の同期だった酒井耕監督と“東北記録映画三部作”を制作し、第12回(2011)「ともにある Cinema with Us」にも参加している。東北での活動はその後の創作活動に大きな影響を与えており、『寝ても覚めても』でも原作にはない東日本大震災のシーンを加え、あの日を境に変わった人の心や社会の変化を表現している。

 濱口監督は、今秋にフランス・パリ日本文化会館で行われたレトロスペクティブに寄せた文章で「酒井耕との共同監督による東北記録映画三部作で捉えた震災後を生きる東北の人々の魅力は、それを引き出すための“聞く”ことや関心の力をわたしに啓示した。そのことは直接的に『ハッピーアワー』における演者たちとの共同作業へとつながっている」とつづっている。

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