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ポップアイコンに進化したファッションの皇帝、カール・ラガーフェルド

映画に見る憧れのブランド

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カール・ラガーフェルド
Roy Rochlin / Getty Images

 ファッション・デザイナーというジャンルを超え、ポップカルチャー・アイコンに進化したファッションの皇帝カール・ラガーフェルド。今年2月19日にパリで死去した彼のプライベートは謎に包まれており、生年月日もはっきりとしません。自身のブランド、カール・ラガーフェルドのほかに、フリーランス・デザイナーとしてクロエフェンディなど名だたるラグジュアリーブランドと契約し、低迷していたシャネルを再生してファッション界で誰よりも長く活躍しました。今回は、そんな彼の素顔に迫ってみましょう。

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キャリアのスタートはイマイチ!?

 享年83歳とも85歳とも言われるカールは、ドイツ・ハンブルグの郊外で生まれました。カールがスケッチをしながら、生い立ちから恋人まで人生を語るドキュメンタリー番組「カール・ラガーフェルド スケッチで語る人生」(2012)によると、彼の美的感覚は子供の頃からユニークで、他の子供が短髪でセーターに短パンという格好の傍ら、長髪で黒いジャケットにロングパンツという格好を好んでいたそう。ソニア・リキエルの服を愛用していたオシャレで美しい母親の影響が大きく、「ドイツの田舎にいるのは嫌だ」とずっと思っていたのだとか。

カール・ラガーフェルド、イヴ・サンローラン
羊毛コンクールにて。21歳のカール(左)と18歳のサンローラン(中央) - Keystone-France / Gamma-Keystone via Getty Images

 1954年、パリに住んでいたカールは初めて描いたコートのデッサンを羊毛コンクールに送ったところ、コート部門で優勝します。このコンクールの別部門で同じく優勝したイヴ・サンローランは、その半年後にクリスチャン・ディオールのアシスタントになり、数年後にディオールが死去した際には、わずか21歳にしてメゾンを背負うクチュリエに大抜擢。その後、自身のクチュール・メゾン、イヴ・サンローランを立ち上げ、モードの帝王として歴史に名を遺しました。

 一方、羊毛コンクールで優勝した後のカールは、ピエール・バルマンジャン・パトゥのメゾンで働き、様々なブランドを渡り歩きました。フランス人ではなかったゆえに、サンローランほど輝かしいスタートを切ることができなかったのでは……? とウワサされています。そうは言っても、Netflixオリジナル作品のドキュメンタリー番組「本番まで、あと7日」では、「シャネルにはフランスらしさを求めている。私はフランス人じゃないから追求しやすい」とカールが語るシーンがあります。外国人であることは最初はネックだったのかもしれませんが、後年、彼に創造の自由を与えたようです。

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イヴ・サンローランと三角関係に……

 友人でもあり、ライバルでもあったサンローランと一時期、三角関係にあったカール。ギャスパー・ウリエルがサンローランを演じる映画『サンローラン』(2014)には、サンローランと倒錯的な愛に耽る美しい男性、ジャック・ド・バシャールが登場します。作中出てくる“カール”はもちろんカール・ラガーフェルドのこと。

サンローラン
『サンローラン』より - Sony Pictures Classics / Photofest / ゲッティ イメージズ

非常な美男子で洗練された趣味に包まれたバシャールは、1970年代~1980年代のパリでは有名なファッショニスタであり、ジゴロでもありました。彼は、その美貌で上流階級や著名人の男女と次々と関係を結んでいたそう。カールと付き合いながら、サンローランを誘惑したバシャールのことを「カール・ラガーフェルド スケッチで語る人生」で「一番クラシックなフランス男性だった」と回想するカールは、バシャールと18年間もパートナーの仲でした。1989年、AIDSにより48歳で亡くなったバシャールの死の床まで寄り添った彼は、バシャールの死から生涯立ち直れなかったと言われています。(※1)

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フェンディのロゴを作った

 1964年、クロエと契約していたカールはフェンディとも契約。何気なく描いた絵がフェンディの有名な「F」ロゴになったのだとか。それまでフェンディは、コンサバな毛皮で有名なローマの高級ブランドでしたが、カールはそこに「fun fur(楽しい毛皮)」というコンセプトを取り入れ、フェンディに新風を吹き込みました。そして、既製服ラインやバッグなどのアクセサリーラインを成功させて、グローバルブランドへと成長させたのです。

カール・ラガーフェルド
フェンディのロゴとカール - Giuseppe Cacace / Getty Images

 「フェンディ by カール・ラガーフェルド ~コレクション前夜」では、ひとりで10人分の働きをすると評されるカールの規則正しい仕事ぶりや生活習慣、職人に抱く敬愛の念が映し出されており、謙虚なカールの人柄が感じられます。

シャネルをアップデート!

 1983年、カールがシャネルのクリエイティブ・ディレクターに就任するのを友人たちが止めようとしたほど、1975年頃から“シャネルは古くさいブランド”というイメージが定着していました。その一因は、香水 N°5がディスカウントストアで売られるなど、流通やイメージ戦略の失敗だったと考えられています(※2)。

 そのイメージを払拭するため、カールはココ・シャネルが遺したデザインやインスピレーションを現代風にアップグレードすることによって、シャネルをスタイリッシュに甦らせました。この時のことを「ココ・シャネルと同じスタイルではなく、彼女が現代に生きていたら作ったであろうデザインを生み出す」と説明したカール。(※3)

クラウディア・シファー、カール・ラガーフェルド
クラウディア・シファーとカール - Pool ARNAL-PICOT / Gamma-Rapho via Getty Images

 また、1990年代初めにはクラウディア・シファーをモデルとして起用。豊かなブロンドの彼女に、シャネルの代名詞であるツイード地を使ったブラや、セクシーなショートパンツを着けさせることで、フェミニンな女性のセクシュアリティを打ち出し大評判になりました。

 女性服からコルセットや装飾過剰の動きにくいドレスを追放し、女性解放に一役買ったココ・シャネルとは、あえて正反対のアプローチを取り、シャネルのブランドイメージを一新したカール。「カール・ラガーフェルド スケッチで語る人生」で、「シャネル女史の考えとは違うが、生き残るための策だった」と回想しています。

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エディ・スリマンの服を着るために42キロのダイエット

 サングラス、ポニーテール、ハイカラーのスーツ、手袋のほかに扇子もトレードマークのカール。扇子を持ち歩いていた理由を、「タバコの煙よけ」「少し太ったときに顔の下を隠せる」と茶目っ気たっぷりに話していた彼ですが、1992年になんと42キロのダイエットを行いました。それは、音楽やストリートをファッションに取り入れたデザイナー、エディ・スリマンスリムなスーツに一目ぼれしたため。カロリー摂取、脂肪分、油分や加工食品を控え、脂肪分の少ないタンパク質と野菜を多く摂るダイエットに成功し、著書『42kg減!華麗なるダイエット (集英社be文)庫)』を発表するほどに。(※4)

 そして、スリマンの黒のスーツに白いハイカラーを自ら加えて、カールがいつも着用していたトレードマークのスーツが生まれました。自分の容姿を戯画化することで、シャネルのデザイナーという枠を超えて自分自身をアイコン化したのです。私生活について語らぬミステリアスで勤勉なデザイナーと、強烈なファッションに身を包んだポップアイコン……この二つの顔を持つことをカールはおもしろがっていたのだとか。「二重生活を送るのは好きなんだ。皆が想像する自分とリアルな自分。その両方に魅了される」とファッション・ジャーナリストに話したこともあります。(※5)

ニコール・キッドマン、カール・ラガーフェルド
映画『ファッションを創る男 -カール・ラガーフェルド-』より、ニコール・キッドマンとカール - Koch Lorber Films / Photofest / Getty Images

 このような独自の美学は、映画『ファッションを創る男 -カール・ラガーフェルド-』(2007)でも披露されています。デザイナー、写真家、映像作家として縦横無尽に活躍するカールの情熱に迫るこのドキュメンタリーでは、二コール・キッドマンとの撮影を含め、プライベートな素顔、セクシュアリティー、若かりし頃のハンサムなカールをたっぷりと堪能でき、ファッション好きでなくとも楽しめる作品になっています。

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遺産は億万長者の愛猫に!?

 37年間、シャネルのクリエイティブ・ディレクターを務めたカールの遺産は約 330億円にも上ると言われていますが、その遺産の一部は愛猫シュペットに渡るのだとか! 白い毛並みと青い瞳が美しいバーマン種のシュペットは、カールのミューズ。インスタで30万人以上のフォロワーを持つインフルエンサーであり、ファッション誌やポスターのモデルとしても多岐に活動しており、年収はなんと3億5千万円以上! 2人のメイド、専属のシェフと美容師を抱え、移動はルイ・ヴィトンのキャリアーとプライベートジェット、ホテルは1匹でスイートルームを占領するほどの超セレブ猫です。(※6)

 サンローランのパートナーだったピエール・ベルジュは、カールがクチュール・メゾンを持たなかったことを小馬鹿にしていたそうですが、そのおかげでカールは、経営責任や借金を負うことなく、デザイナー、写真家、映像作家、彫刻家としての才能を自由自在に発揮し、ジャンルを超えたクロス・オーバーアーティストとして人生を全うしました。

 ファッションを自分のプロフェッションとし誰よりもハードに働きながらも、ファッション界やセレブ界、富や名声、なによりも“自分のエゴ”に飲み込まれなかったカール・ラガーフェルド。そこには、何者にも変えられぬ揺るぎのない自信と、人としての謙虚さがあったからではないのでしょうか。

 「デザイナーがチャレンジングな仕事に対して文句を言うのを聞いたら、こう言ってあげればいい:我を忘れちゃいけない。“単なるドレス”なんだから」by カール・ラガーフェルド(※7)

【参考】
※1…the scandalous story of jacques de bascher, karl lagerfeld’s former boyfriend - iD
※2…東洋経済「シャネルの戦略 究極のラグジュアリーブランドに見る技術経営」 長沢伸也/杉本香七
※3…How Karl Lagerfeld made an icon of himself - DW
※4…Karl Lagerfeld Diet - freedieting
※5…Karl Lagerfeld Love and Secrets of a Genius - Acrimonia
※6…Karl Lagerfeld’s cat Choupette could inherit part of his fortune - Market Watch
※7…Thames & Hudson著 「THE WORLD ACCORDING TO Karl」

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此花さくやプロフィール

此花さくや

 映画ライター。ファッション工科大学(FIT)を卒業後、「シャネル」「資生堂アメリカ」のマーケティング部勤務を経てライターに。アメリカ在住経験や映画に登場するファッションから作品を読み解くのが好き。
Twitter:@sakuyakono
Instagram:@sakuya
writer

 
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