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ウィンブルドン前におさえておきたい!『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』に見るテニスファッション革命

コラム

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
(C) 2018 Twentieth Century Fox

 7月2日から開幕するウィンブルドン選手権2018。サッカーに続いて盛り上がり必至のテニスですが、1973年、世界中で9,000万人の目をくぎ付けにした、全米女子チャンピオンVS元男子チャンピオンによる一大マッチがあったのをご存知でしょうか。この“性差を越えた戦い”を描いた映画『バトル・オブ・ザ・セクシーズ』(7月6日公開)は、当時の男女の賃金格差について問題提起するだけはなく、同性愛やテニス界におけるファッション革命をも映し出した作品です。本作に登場するデザイナー、テッド・ティンリングが起こしたテニス界におけるファッション革命を紐解いていきましょう。(文:此花さくや)

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■現代ハリウッドにも通じる男女の賃金格差

 2018年のハリウッドでも話題となった男女の賃金格差。1970年当時は当たり前のことでした。もちろんテニス界も例外ではなく、女子の優勝賞金は男子の1/8ほど。そこで、全米女子テニスのチャンピオン、ビリー・ジーン・キングエマ・ストーン)は全米テニス協会に抗議し、女子テニス協会を立ち上げることになりました。ほどなくして開催された「バージニアスリム選手権」では、賞金は全米テニス協会の1,500ドルよりもはるかに高い7,000ドルとなり、女子テニス協会は、男女賃金格差是正への一歩を踏み出したのです。

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
女子テニス協会を立ち上げたビリー・ジーンたち - (C) 2018 Twentieth Century Fox

 1973年、世間から忘れられていた元男子世界チャンピオンのボビー・リッグススティーブ・カレル)が、“男性の優位性を証明するため”にビリー・ジーンに挑戦状を叩きつけました。現女子チャンピオンと元男子チャンピオンの性差を越えた戦いは、女性解放運動があちこちで起こっていた世界に大きな波紋を与え、試合には3万人以上もの観客が押し寄せ、アメリカだけでも5,000万人もの人々がテレビで試合を観戦した、歴史に残るテニスマッチとなったのです。

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■テニス界の風雲児、テッド・ティンリング

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
劇中もキーマンとなるテッド - (C) 2018 Twentieth Century Fox

 「バージニアスリム選手権」のテニスツアーに同伴し、選手のユニフォームをデザインしたのがテッド・ティンリング(アラン・カミング)です。イギリス人のテッドは1940年代後半から1980年代まで活躍したデザイナーですが、自身も1920年代にウィンブルドンのダブルスで4回もプレイした優秀なテニス選手でした。彼の活動は、テニスの歴史家、審判、コンサルタントなど多岐に渡り、ウィンブルドンでは司会者として活躍した時期もあったのだとか。ジャンルを超えて活動した、テニス界でも類をみない人物です。

■“全身白”ルールを打ち破ったファッション革命

 劇中、「バージニアスリム選手権」のツアーで、テッドが選手たちにこう言います。「I gave you, for the first time in the history of tennis, “color”!(テニス史上初めて、“色”を私が与えます!)」。これは、テッドが実際に起こしたファッション革命を指しています。現代のウィンブルドンでも“全身白”の規則がありますが、それまで他の公式戦でも全身白が基本でした。上流階級が嗜むスポーツとして発展したテニスは、長らくカントリークラブでプレイされており、汗ジミの目立たない白色のテニスウェアを着るほうが上品だからという理由で、1800年代から全身白のルールがクラブで定着。公式戦の規則になったと考えられています。

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
それまでのテニスウェアの常識を打ち破ったカラフルでキュートなテッドのデザイン - (C) 2018 Twentieth Century Fox

 カラフルな女子テニスウェアには、「“自信”が勝利と敗北の線引きをするのではないだろうか」「相手の選手よりも自分の方がキレイでオシャレだと思った選手は、怖い者なしだ」(INTERNATIONAL TENNIS HALL OF FAME)といったテッドの信念が込められています。

 実は、1966年に元イタリアチャンピオンのセルジョ・タッキーニが自身のアパレルブランドでカラーのテニスウェアを打ち出してはいました。ですが、女性を女性らしく美しく見せるテッドの斬新なデザインと色使いこそが、テニスファッションを変えたといわれているのです。

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
ビリー・ジーンのためにデザインした大きな襟のテニスウェアは、テッド・ティンリングのアイコニックなスタイルに。 - (C) 2018 Twentieth Century Fox
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■厳格化するウィンブルドンのファッション

 2017年のウィンブルドン選手権では、女子シングルス1回戦の中断中に、ピンクのブラストラップが見えたとして、ビーナス・ウィリアムズが着替えさせられたり、2013年にはロジャー・フェデラーが、オレンジのソールのシューズ着用を禁止されたりしたことが大きなニュースとなりました。

 全米オープンでは1972年にカラーのテニスウェアが許可されたにもかかわらず、全英のウィンブルドンでは、この“全身白”がいまだに厳格に守られているのです。近年ますます厳格化されている“全身白”規則には賛否両論がありますが、なんとテッドもウィンブルドンを追放された過去があるのだとか。

 1949年、テッドはアメリカのテニス選手グッシー・モランに、レースがついた下着をスコートの下に履かせ、デザイナーとして一躍脚光を浴びました。このウェアに観客は大喜びしたそうですが、ウィンブルドンの主催側はカンカン! それまでウィンブルドンの司会者として23年間も務めてきたテッドを、信じられないことに、ウィンブルドンから追放したのです。それも、33年間! 1982年にやっと、テッドはウィンブルドンへの復活が許されたといいます。

■同性愛がタブーだった1970年代

バトル・オブ・ザ・セクシーズ
運命的な恋に落ちたビリー・ジーンとマリリン - (C) 2018 Twentieth Century Fox

 既婚者であるビリー・ジーンが初めて女性のマリリン(アンドレア・ライズブロー)と恋に落ち、彼女をツアーに同行させたとき、二人の仲に気づいたのはテッドと、ビリー・ジーンのライバル選手であるマーガレット・コートジェシカ・マクナミー)だけでした。1970年代の多くの人々がそうだったように、マーガレットは同性愛を毛嫌いしていましたが、テッドはビリー・ジーンの味方に。映画内では、ビリー・ジーンの恋が夫のラリー(オースティン・ストウェル)にバレないように手助けする様子も描かれています。それもそのはず、テッド自身も同性愛者。映画の終盤でテッドがビリー・ジーンに語る言葉には、1970年代の性的マイノリティーが感じていた“生きづらさ”が集約されており、胸が締め付けられます。

 テニス界における男女格差を是正する革命の大きな一歩となった「バトル・オブ・ザ・セクシーズ」。45年前に起きたこの世紀の戦いには、ビリー・ジーン・キングの他にも、テッド・ティンリングという、もう一人のテニス界の革命家がいたのです。

【参考】
TED TINLING - INTERNATIONAL TENNIS HALL OF FAME
U.S. Open Fashion: A Look Back at Tennis Dress Design Legend Ted Tinling - WWD
Why do Wimbledon players wear white? Dress code explained - EXPRESS
Ted Tinling, Designer, Dies at 79; A Combiner of Tennis and Lace - The New York Times
Ted Tinling, gay tennis-fashion designer, gave Billie Jean King style - Q Voice News
ASSOULINE 「TENNIS FASHION」DIANE ELISABETH POIRIER著

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