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撮影後にモデルが射殺!『北陸代理戦争』に漂う生々しさ

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当時を振り返る女優・高橋洋子
当時を振り返る女優・高橋洋子

 1970年代を中心に数々の名監督の作品に出演してきた女優の高橋洋子が26日、大分県由布市で開催された第42回湯布院映画祭内「特集 脚本家高田宏治」シンポジウムに脚本家の高田宏治とともに来場、東映実録やくざ映画末期の傑作『北陸代理戦争』(1977)について語りあった。

 『鬼龍院花子の生涯』『シルクハットの大親分 ちょび髭の熊』など、東映を中心に数々の話題作を発表してきた高田の足跡を振り返る本企画。「作品を選んだのはこちらの実行委員の方ですけど、上映作品を観ると、五社英雄さん、作さん(深作欣二監督)、松方弘樹なんかもいて。胸がいっぱいですよ」と高田が故人をしのぶと、高橋も「松方さんも地井(武男)さんもいないんですものね……」と続けた。

 この日上映された『北陸代理戦争』は、『新仁義なき戦い』シリーズの一編として企画されながらも、主演をするはずだった菅原文太さんが降板。『仁義~』の看板を外して仕切り直すも、撮影中に渡瀬恒彦さんが運転したジープが転倒して重傷・降板。果ては当時進行中の抗争をモチーフとしていたことから、映画公開後に本作のモデルとなった人物が射殺されるなど、スキャンダラスな側面がクローズアップされた因縁の作品として知られている。

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「どこまで話していいのやら……」とトークを繰り広げた高田宏治

 「(菅原)文太が降りたから、(松方)弘樹も意気込んでいたし、作さんも意地になっていたね。ヤクザものはこれで最後だと思っていたみたい。だからみんなこれにかけていたんですよ」と証言する高田は、「全部本当の話だから生々しいんだわ。さて、どこまで話していいのやら……」と思案するほどにギリギリのトークを披露し、会場を沸かせた。

 高橋は、高校卒業後に文学座付属演劇研究所に入所、同期には松田優作さんもいたという。そして1972年に斎藤耕一監督の映画『旅の重さ』のヒロインとしてスクリーンデビューを飾り、翌年にNHK朝の連続テレビ小説「北の家族」のヒロインに抜てき。その後も熊井啓監督の『サンダカン八番娼館 望郷』、神代辰巳監督の『宵待草』『アフリカの光』といった作品に出演してきた人気女優だった。その後は、作家として芥川賞候補となるなど文筆業を中心に活躍をしていたが、今年公開された『八重子のハミング』で28年ぶりに映画復帰したことも話題となった。

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 「(『北陸代理戦争』で)ようやく深作組に入ることができたんですよ。『宵待草』とかも全然色が違うし、斎藤耕一もモダンだから。今までがトランプだったとすると、東映は花札という色合いを感じましたね」と振り返る高橋は、「当時はテレビ映画も多かったから、撮影所にはビシッとかつらをかぶった人たちがたくさんいて。片や深作組の側を見ると本物か! という人たちがたくさんいて。メイクも青あざだったりしてとにかくリアルなんですよ。松方さんも黒くて濃いのを塗っていましたね」と笑う。

 高橋が演じる信子は、自分の愛する男のためなら肉親に手をかけるという野性味あふれる役柄で、強い印象を残した。「ちょうどその頃、東京では市川崑監督の『悪魔の手毬唄』を撮影していた頃で。あちらはあちらで滝つぼで死んでしまう役だし、東映は東映で肉親を殺してしまう役だし。往復も本当に大変で、本当に若かったからできましたね」と笑う高橋に、高田も「本当に高橋洋子には(脚本を手がけた)『極道の妻たち』に出てもらいたかった。あのすさまじさはないよね。惜しいことしたなと思いますよ」としみじみ付け加えた。(取材・文:壬生智裕)

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