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原発事故から5年、飯舘村の母ちゃんたちの現実と“自立”への思い

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あれから5年…被災者が語る現実
あれから5年…被災者が語る現実

 映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』の公開に先駆け、古居みずえ監督、出演者の菅野榮子さん、菅野芳子さんを招いた先行上映会が8日に都内で行われ、出演者で避難民である榮子さんから「自立を原点にして考えなければならない」と被災者の現実を突きつける言葉が投げかけられた。聞き手は作家の渡辺一枝さんが務めた。

 福島第一原子力発電所の事故から5年。本作は、仮設住宅で暮らす79歳の榮子さんと78歳の芳子さんに密着したドキュメンタリー。二人を通した復興の現状や「さすのみそ」や「凍み餅」といった飯舘の食文化を広める活動などが描かれている。

 古居監督は、「ずっとパレスチナの取材をしてきたのですが、中東と被災地の状況が重なるように感じたのが、飯舘の人たちを追いかけるようになった動機です。榮子さんは元気でエネルギッシュ、しっかりとご自分の考えを持っています。榮子さんが唯一弱いところを見せる人が芳子さんで、お二人を撮りたいと思った」と制作の裏話を披露。

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 榮子さんは、映画の中の気丈なイメージとは裏腹に「避難生活が長引き、本音ではどうしたらいいかわからない」と不安な心情も語っていたが、「映画を観て、私こんなに笑っているのかと。不思議でした」とすぐに笑顔が戻る。「飯舘村の住民は、自然とともに歩んできました。貧しいけれど、心は豊か。ところが突然、ホットスポット、高濃度汚染、避難という言葉に襲われました。村民は散り散りになりましたが、私たちの心の中で、飯舘村はずっと同じ場所にあります。やがて80歳になりますが、土に感謝して生き続けています」とその言葉はどこまでも力強い。

 一方の芳子さんは、一度は息子さん一家と福島を離れ、埼玉へ避難したという。「原発事故がなければ、ずっと飯舘から出ることはなかった。避難中に父と母を相次いで亡くし、福島に戻りたくてしょうがなくなりました。息子たちは反対しましたが、できる限り自立して生きたいという私の想いを尊重してくれました」と福島に戻った経緯を説明した。これに対して榮子さんは、芳子さんが戻ってきたときの嬉しさを「開いた口にぼた餅でした」と表現し、会場は大爆笑。シリアスなトークの中でも持ち前のユーモアを忘れていなかった。最後に、そんな二人に古居監督は「行く先は険しいと思いますが、二人で頑張って生きてほしい」とエールを送っていた。(取材・文:タナカトシノリ)

映画『飯舘村の母ちゃんたち 土とともに』は5月7日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開

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