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田原総一朗、逮捕覚悟で制作した若き日のドキュメンタリーを振り返る

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登壇した田原総一朗
登壇した田原総一朗

 ジャーナリストの田原総一朗が4日、都内にて「第7回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」プレイベントのシンポジウムに出席。「戦後70年 ドキュメンタリーは何を見つめてきたのか?」をテーマに、田原は危険を覚悟しながら制作に情熱を注いできた過去の変遷をひも解いた。

 テレビ番組の収録が長引き、本イベント終了間際に駆け付けた田原。「突然来て、何をしゃべればいいのやら」と一瞬、途方に暮れたが、すぐにエンジンがかかり、田原節がさく裂。「昔、わたしが居た頃のテレビ東京は、いわゆるテレビ番外地。誰からも問題にされなくて、制作費も格段に安かった。そんな中でNHKさんや全国ネットの民放各社と勝負するには、彼らがやらないことをやるしかなかった」と振り返る。

 「では、彼らがやらないものとは何か。ひと言で言えば危ない番組、捕まるかもしれない番組。例えば、今日、ここで上映された『バリケードの中のジャズ』もその一つ」と目を輝かせる。「ピアニストの山下洋輔に『どういう状態でピアノを弾きたいか』と聞いたら、『ピアノを弾きながら死にたい』ときた。そこで当時、バリケード封鎖していた早稲田大学でゲリラライブをやれば、民青も中核も革マルも押し寄せてゲバ戦になるだろうと思って決行した」と述懐。「ところが、みんな暴れるどころか、音楽に聞き入り、大学側も警察に訴えず、逮捕されることもなく、うまくいかなかった。良い悪いは別にして、我々はこんな番組ばかりを作っていた」と懐かしそうに田原は語る。

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 これを受けて司会者から、「テレビにタブーはあるのか」というテーマを振られた田原は、さらに勢いを増す。「『朝まで生テレビ』(テレビ朝日系)が始まった翌年の1988年、昭和天皇が病気になった。自粛ムードに包まれる中、当時の編成局長に、番組で『天皇の戦争責任をテーマでやりたい』と言ったが、『バカヤロー!』と一蹴された」と苦笑い。これに対して田原は、「それならオリンピックと日本人というテーマでやる」と宣言しながら、生番組であることを利用して、途中で出演者を入れ替え、強引に天皇問題を徹底討論したという。
 
 その後、編成局長に謝罪に行った田原は、「彼はそれを見越していたんだと思うね。逆に『大晦日にまたやってくれ』と言われた」と肩すかし。ちなみにそれがきっかけで視聴率はアップし、天皇問題を扱った伝説の番組として、今も語り継がれている。この日はほかに、慶應義塾大学教授の小熊英二、演出家・脚本家の今野勉、映画プロデューサーの山上徹二郎も登壇した。(取材:坂田正樹)

「第7回 座・高円寺ドキュメンタリーフェスティバル」は座・高円寺にて2016年2月7日~11日まで開催

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