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『昼顔』(1967年)監督:ルイス・ブニュエル 出演:カトリーヌ・ドヌーヴ:第32回

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ドヌーヴが昼の間だけ娼婦になる人妻を演じる映画『昼顔』
ドヌーヴが昼の間だけ娼婦になる人妻を演じる映画『昼顔』 - (C)Allied Artists / Photofest / ゲッティイメージズ

 鬼才・ルイス・ブニュエルが、1928年にジョセフ・ケッセルが発表した同名小説を映画化したフランス=イタリア合作映画『昼顔』(1967)。『シェルブールの雨傘』(1964)でブレイクした当時24歳のカトリーヌ・ドヌーヴを主演に迎え、現実と幻想、妄想が入り交じるエロティシズムにあふれたブニュエル印の異色作だ。(今祥枝)

【写真】『昼顔』約40年ぶりの続編

 若く美しい人妻セヴリーヌ(ドヌーヴ)は、イケメンで裕福な医師の夫ピエール(ジャン・ソレル)と仲良く暮らしている。ただ一つの問題点は、セヴリーヌが不感症であるということ。夜の営みを“人並み”に送ることができないことで、セヴリーヌは“寛大で優しい”夫に対して罪悪感を抱いている。意を決して、セヴリーヌは究極の荒療治ともいうべき手段に出る。夫の友人アンリ(ミシェル・ピッコリ)から聞いた街にある秘密高級売春宿「アナイスの館」で、昼間だけ“昼顔”と名乗って働くことにしたのだ。最初は尻込みするも、あっという間に1番の売れっ子になり不感症は克服されていく。だが、客の一人で犯罪者の青年マルセル(ピエール・クレマンティ)が、セヴリーヌに入れ込み過ぎて娼婦を辞めるが悲劇的な事件が起きてしまう……。

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 セヴリーヌが夢想する非現実世界は、現実の延長のように唐突に挿入されるので、観ているうちにどれが現実でどこまでが夢想なのか混乱する。この現実と夢想の境界線は、バルドーと呼ばれる、それぞれに幌がついた向かい合わせで2人ずつ座る馬車と鈴の音に象徴される。冒頭、仲良さげに走る馬車で会話をする夫婦。「愛してる」と言いながらも、「ただ一つの欠点=不感症を除いては」と言い放つピエールに対して、困惑と罪悪感をあらわにするセヴリーヌ。その後、夫の命令により、夫の目の前でセヴリーヌは木に縛り付けられ、むき出しの背中を鞭打たれ、見知らぬ御者に陵辱されるのだが、ふと我に返るとベッドの中にいるといった具合だ。

 映画では断片的に、子供の頃に彼女が中年の配管工に体を触られたなどのトラウマが描かれる。この体験から、恐らくセヴリーヌは意識的なのか無意識なのかはわからないが性を“汚らわしいもの”とし、自分の欲望に蓋をしてしまったのかもしれない。これは女性としては全くもって理解できるのだが、抑圧された分、セヴリーヌの欲望は前述のような夢想の形であらわれるほどに強い。ある夢想から判断するに、セヴリーヌは拒みながらも、どこかで自分を快楽へと導いてくれる存在を求めているのは明らか。正しき夫ピエールは、やめてと言われると大人しく引き下がる紳士で、一般的に言えばそれは大変好ましい。だが、セヴリーヌの清潔さ、清廉さを自分の欲で汚してはいけないという、完璧に美しい妻への夫の幻想なのかもしれないと思うと、この夫婦の決定的な噛み合わなさを露呈している気もする。本音でぶつかり合うこともなく、お互いを罵倒することもなく、お互いに気を使い、溝は深まるばかり。性生活のあれやこれやは、現代においても他人にオープンになることは少ないから、余計に厄介な問題である。

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 それがゆえに、セヴリーヌのように妄想がふくらんでしまうのだろうか。秘密高級売春宿の存在を聞き、そんなものがまだ存在しているのかと驚いた彼女が、夫に単刀直入に尋ねるシーンがある。夫が正直に経験があることを認め、「終わった後は虚しくなるだけ。ザーメンの無駄使い」などと赤裸々に妻の質問に答えると、「露骨な表現はやめて」と遮り、添い寝を要求するというかまととぶりを発揮する。このセヴリーヌの初心(うぶ)さと性への飽くなき探究心の矛盾は、売春宿の描写にいたると、より明確にある種の滑稽さを帯びてくる。

 やってくるのは、いずれも変わった客ばかり。“教授”と呼ばれる高名な婦人科医は、使用人の扮装で娼婦に公爵夫人を演じさせ、踏みつけられ暴力で辱めさせることによって性的興奮を覚えていた。隣の部屋の覗き穴から勉強のために観察しておけと、マダム・アナイス(ジュヌヴィエーヴ・パージュ)に言われたセヴリーヌは、「あそこまで堕落するなんておぞましい」などと口にする。だが、次にやってきた東洋人の客に対しては早速しなだれかかり、客が帰った後でベッドに疲れ果てた様子で突っ伏しているセヴリーヌは「最高に感じたわ」と満足気。順応=堕落とは早いものである。この東洋人がまた謎で、開けると羽虫が飛ぶような奇妙な音のする小箱を見せながらデタラメな言語をしゃべり(何を言っているかは不明)、手に鈴を持っては鳴らしてみせる。支払いで出したクレジットカードは「芸者クラブ・カード」。思わず、なめているのか!? と笑ってしまう。

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 しかし、へんてこではあってもセヴリーヌに性的快感をもたらした謎の東洋人が、鈴を鳴らしていたことは興味深い。前述の馬車がしゃんしゃんしゃんと鈴を鳴らして走る音を筆頭に、他の夢想には首に鈴を付けた牛が意味深に登場する。鈴の音には、バルドーと同じくセヴリーヌの深層心理を呼び覚ます、暗示的な何かがあるのだろう。

 ほかにも登場する客の趣味、嗜好はいずれも変わっているけれど、欲望を満たす方法は人それぞれ。相手が嫌がることを強要することは論外だが、お互いが合意の上なら“人のセックスを笑うな”という感じで、大きなお世話なのである。ある意味、セヴリーヌは「良き妻とはこうでなくてはならない」という概念を取っ払ったことで、性的な不感症だけでなく、人間的な感情も取り戻したかのように、表情にも感情が読み取れるようになっていく。当時24歳とは思えないほど大人の色香が漂うドヌーヴの、陶磁器の人形のような美しさにはひたすらため息しか出ないが、ある種の無表情さ、硬質さが、本作のセヴリーヌ役にはぴたりとハマっている。イヴ・サンローランのミリタリー調の衣装の着こなしも、堕落しながらも毅然とした品位を感じさせることに一役買っている。

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 当時のファンは、本作で素肌をあらわにする彼女にショックを受けたのだろうか? しかし、私生活では17歳の時に33歳のロジェ・バディム監督と同棲していたドヌーヴは、19歳でシングルマザーとなり、本作の撮影中には英国人写真家と結婚していた。以後も、クリント・イーストウッドマルチェロ・マストロヤンニフランソワ・トリュフォーほか恋多き女として知られている。圧倒的な美貌に早熟だったからこそ、清廉なイメージを観客に抱かせつつ、ブニュエルがいうところの「控えめなエロティシズム」を体現できたであろうドヌーヴ。彼女自身が本作の最大の魅力であることは確かで、キャスティングの勝利というほかない。

 もっとも、『昼顔』はブニュエルが経済的な面から止むを得ず引き受けた作品で、ドヌーヴの起用はプロデューサー側の意向だった。当時のドヌーヴは撮影中、誰に対しても感じが良くなかったとの共演者の談もあるが、ブニュエルは後年、『哀しみのトリスターナ』(1970)で再度主演に起用している。ドヌーヴもまた、後年になって自らの代表作として『シェルブールの雨傘』と本作を挙げていることからも、結果的には相思相愛の関係だったのだろう。

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 また、ブニュエルは原作に対しても「道徳が捨てられずに保たれている」などとして好みではないと明言していた。だが、大筋は同じでも夢想のシーンを断片的に挿入し、やがては虚実逆転させる、あるいは何が現実かが曖昧模糊となるシュールレアリスム的な翻案を行い、こちらも結果として本人の納得のいくものとなったようだ。タイトルの“昼顔”には、今では不倫の代名詞のような安っぽいイメージも付きまとうが、さすがはブニュエル。馬車と鈴の音というモチーフの反復を用いて俗っぽい題材ながらも、これほど独創的でアーティスティックな世界を構築できるのかと感嘆せずにはいられない。

 それにしても、結局のところ本作は、夫の要求に何とか応えたいと願う妻の純愛を描いているのだろうか? あるいは、よく言われるように「性の迷宮」を描いているのだろうか? 清廉でありながら娼婦といったセヴリーヌ像は男の幻想を思わせるが、同時に映画全体が人間の欲望の果てしなさと不合理さを笑い飛ばしているようでもある。個人的には、ラストは非常に毒気の効いたハッピーエンドに思える。夫婦の役割の重圧から逃れることが、女性の真の解放を意味しているのかも、と思ったりもするが、どうだろうか。

 『昼顔』は、第28回ベネチア国際映画祭で金獅子賞を受賞した。ちなみに2006年には、『アンジェリカの微笑み』(2010)の公開が控える故マノエル・ド・オリヴェイラ監督による、約40年ぶりの続編『夜顔』が発表された。セヴリーヌとアンリが延々会話を続ける作りだが、こちらも秀作。アンリはミシェル・ピッコリのまま、セヴリーヌはビュル・オジエが演じている。

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