『僕は猟師になった』池松壮亮 単独インタビュー

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『僕は猟師になった』池松壮亮 単独インタビュー

動物の命が消える瞬間に寄り添う衝撃

取材・文:成田おり枝 写真:上野裕二

京都の猟師・千松信也氏を追いかけ、再放送希望が異例の1,141件も届く反響を見せたNHKのドキュメンタリー「ノーナレ けもの道 京都いのちの森」に、300日間の追加取材を行い再編集した映画『僕は猟師になった』が公開される。ナレーションを担当するのは、実力派俳優の池松壮亮。「千松さんの自然界との向き合い方に感動した」という池松が、“命をいただく”営みを見つめて感じたこと、30代を迎えた心境までを明かした。

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「ノーギャラでも参加したい」の意味

池松壮亮

Q:本作が完成した際のコメントで、池松さんは「ノーギャラでも参加したいと思える作品」とおっしゃっていました。そう思われた理由をお聞かせください。

溢れる情報の中、埋没しないように引きの良さを考えたキャッチコピーと言いますか、僕なりのユーモアでもあったのですが(笑)、「それぐらいの作品だと思っています」というメッセージです。本作はまずナレーションなしの“ノーナレ形式”で一昨年(2018)にNHKで放送され、たくさんの反響があったものです。その時点のものを拝見しても、とても素晴らしい作品だと思いました。

Q:猟師である千松さんと獲物との命のやり取りが描かれていますが、どのような点に感銘を受けたのでしょうか。

千松さんの自然界との向き合い方を見ると、自分自身がいかに傲慢に生きているかを突きつけられているような気がしました。“森の哲学者”とも呼ばれる千松さんは、「どのように動物と対峙するか」ということに対して、自分だけのルールを持っています。自分や家族が食べる分だけの肉を自分の手で奪って、さばいて、いただけるところはすべていただく。動物の命、そして命を奪った悲しみとも向き合い、それらを丸ごと体に取り込み最後まで責任をとろうとしています。そのルールは自分自身のものであって、決してそれを誰かに強要しようとはしません。自分が培ってきた倫理観と道徳のもとで、あれだけの独自の哲学を導き出していることに、とても感動しました。

ナレーションに自信を持ったことはない

池松壮亮

Q:ドキュメンタリー作品としての視点、メッセージについては、どのように感じられましたか?

決して大衆迎合的ではなく、なかなか人が目を向けないような世界を見つめたドキュメンタリーだと思いました。加えて、どこか“母性”のような視点を感じました。猟師の生き方を映し出す場合、獲物にどうやって一発で命中させるかなど、ロマンに傾く傾向があると思います。でもこの映画では、環境問題やアニマルライツ(動物の権利)の問題にも踏み込んで、広い視点で“人と生き物”の共生を見つめ、その上で自然の摂理を描いている。一人の猟師にスポットを当てながら、「みんなで考えていこう」という視点が感じられて、そこが大変好みでした。ですから「ノーギャラでも」と言ったのも、決して嘘ではありません。

Q:ナレーションを吹き込む上で大事にしたことは、どんなことでしょうか。

時々やらせていただくのですが、いまだに自分の声が優れているとか、テクニックを持っていると感じることはありません。それぐらい、自分でもどうやるべきなのか、よくわかっていないところがあります。一音一音、はっきりと伝わるように発音するということで言えば、専門のプロの方々がいる中で、僕は圧倒的にレベルが低く話にならないとも思っています。そういったことをふまえて、僕に何ができるんだろうと考えると、“声なき声”や“名もなき物語”に体温を与える役割であるということ。俳優として培った他者に心を寄せること。その意味では、やっていることは割といつもと同じなのかなとも感じています。今回ならば、千松さんの心の声と動物と森の声に寄り添うということを、最も大事にしていました。

動物の命が消える瞬間を見つめて

池松壮亮

Q:千松さんの生きざまを見つめて、印象的だった場面はありますか?

千松さんは撮影時に「猟師を始めて19年」とおっしゃっていましたが「命を奪うことに慣れたことは一度もない」とおっしゃっていたのが、とても印象に残っています。

Q:動物の命が消えていく瞬間など生々しい場面も、しっかりと収められています。だからこそ、食べるためには生き物を殺す必要があり、私たちは「命をいただいているんだ」という事実に改めて気づかされます。

この映画を観た後では気軽に「焼肉を食べに行こう」とは言えなくなりますよね。千松さんが鹿と対峙するシーンも、とても衝撃的でした。千松さんが鹿を捕まえて、馬乗りになって心臓を刺したとき、鹿の最後の叫び声が聞こえてきます。その声は、まるで赤子のようでした。そして鹿の心臓が止まるまで、千松さんは何も言わない。鹿の脇腹に手を当てて、静かに心臓が止まるのを待っていました。やがて鳴き声が遠くなり、森ごと静かになっていきます。自然の摂理に従って、生き物をいただこうとしている。千松さんのそんな姿を見て、なんて謙虚な生き方をしている人なんだろうと思いましたし、その映像は今でも頭から離れません。

30代のスタートを切る作品

池松壮亮

Q:千松さんは、自然や動物をとても豊かな目で見つめられていますね。

いただく命について、最後までしっかりと責任を取る方でもあります。僕はこれまで命を何不自由なくもらって生きてきましたが、そこに責任や罪の意識はなかったと言えます。目の前のテーブルに並ぶ美味しそうな肉の痛みや悲しみについて、ほとんど考えずに生きてきたと思います。しかし、これから僕たちはあらゆる問題をもっと全体のこととして見つめていかなければいけないのではと感じています。例えば、家畜が排出するガスは、地球温暖化にとても影響しているとも言われています。コロナ禍においてもいろいろと考えましたが、何事においても、自分たちがどのような影響を与えているのか、自分にも責任があるのではないかと感じていかなければ、この先の未来に平和を手渡していけないかもしれない。未来を考える上でも、千松さんの生きざまを誰かと共有する手助けをしたい気持ちになりました。

Q:池松さんは、今年の7月に30歳になりました。本作は、30代のスタートを切る作品となりましたね。

今回は、『映画 夜空はいつでも最高密度の青色だ』でもご一緒したプロデューサーにお声がけいただいたことが始まりでした。そういった、これまでのご縁がきっかけで、千松さんの生き方に出会い、たくさんの学びがありました。99分、映画に没入することで、食だけでなく、生きること、私たちが暮らす地球と人間の営みにも思いを馳せられる作品になっているような気がします。30歳になりましたが、年齢を重ねるごとに、「人の心に届くものを」と頭を抱えながら映画と共闘しています。これからも、一本一本、こだわりとやりがいを強く感じながら臨んでいきたい。この映画も、自信を持ってお届けできるものになったのではないかと思っています。


池松壮亮

コロナ禍において、俳優として何ができるのかと熟考したという池松壮亮。誰もが不安を感じている世の中でも、「声なき声に寄り添い、体温を与えていきたい」という強い覚悟に心が震える思いがした。「今を生きる人々の心に届く映画を」と願う彼が、この“命と向き合う”作品と出会ったのは、必然とも思える。

映画『僕は猟師になった』は8月22日より全国順次公開

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