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『花戦さ』野村萬斎 単独インタビュー

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『花戦さ』野村萬斎 単独インタビュー

父を見ていると、わたしもまだまだ

取材・文:坂田正樹 写真:高野広美

戦国の世の日本、大切な者たちを奪われた悔しさを花に託した「優しい戦さ」が、荒ぶる魂をしずめ、閉ざした心をこじ開けた……。天下人となった豊臣秀吉の圧政に対して「刃」ではなく「花」で戦いを挑んだ華道家元・初代池坊専好の一途な姿が胸を打つ、心震える伝説に着想を得た鬼塚忠の小説を映像化した時代劇『花戦さ』。感性のままに生きる天真爛漫な専好を“直情的”に演じたという狂言師・野村萬斎。四代目専好に「見本にしたい」と言わしめたそのエネルギッシュな姿から、日本の伝統芸能・文化に対する熱い思いがほとばしる。

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「型」を踏まえた上ではみ出るのが個性

野村萬斎

Q:この作品で一番魅力を感じたところはどこでしょうか。

花と人間の「シンクロ」です。人の生きざまも花、表情も花、心も花。「人それぞれが花」というのが、この映画のテーマでもあり、見どころでもあると思います。

Q:確かに、萬斎さん演じる池坊専好とその仲間たちの姿が色とりどりの花のように、個性的に描かれていました。

そうですね。最初はみんな、無邪気に顔をほころばせて、花を咲かせていますが、織田信長と出会い、豊臣秀吉と出会い、彼らが出世することで時代が動き、それによって水も変わり、土も変わり、花が育つ環境が変わってしまう。秀吉の圧政が広まり、どんどん悪環境になっていくわけですが、専好さんを盛り立ててきた仲間たちがしおれはじめ、摘まれ倒されていくことになるわけですね。それでも折れない専好さんは「人の心も花だ」という信念を持って、固く閉じている秀吉の心を開かせようと臨むのですが、そういった生きざま一つ一つが花になぞらえられた映画だと思います。

Q:萬斎さんと同じ日本の伝統的文化に携わる専好に何か相通ずるところはあったのでしょうか。

われわれには洗練させながら作り上げてきた方法論や様式美、いわゆる「型」というものがあります。この型にはまらないとなかなかレベルが上がらないものですが、そこに相反する「個性」が同居しないと、それはそれでつまらないわけです。歌舞伎の場合は「型破り」な方がいいんでしょうが、わたしたち狂言師は、破るまでではないけれど、型を上回る「個性」は必要だと思っています。そういった意味では、専好さんも型通りにやらなくてはいけないけれど、ちょっとそこに息苦しさを感じてしまうというか、それよりも自分の個性の方が勝ってしまう人と言いましょうか。あくまでも、型を踏まえた点で個性を出していく、あるいは出てしまう、そういうところは似ているかもしれないですね。

Q:いかにして型から「はみ出すか」ということですね。

そうですね。「はみ出す」というよりも、「にじみ出る」方が品がいいですね。わたしの父(野村万作)や先輩方を見ていますと、意図的にではなく型から個性がにじみ出ています。さらに言えば型を感じさせない。そういう境地を目の当たりにすると、わたしもまだまだ「はみ出したい」という域なのかなと思いますね。ただ、型に反発するというのは、型が嫌いなのではなく、その型がどうしてこうなったのか、一度壊して再構築しないと、型のありがたみがわからないという認識なんです。

Q:今回、専好を演じる上で、「はみ出す」あるいは「にじみ出る」瞬間はあったのでしょうか。

多少オーバーアクションに捉えられるかもしれませんが、例えば蓮の花がポンと開くところで一瞬驚喜するとか、信長の前で「しゅるしゅる~」とか擬音、擬態語で思いを表現するシーンなどは狂言的な方法ですね。

精神的にヌーディーな状態で

野村萬斎

Q:専好は天真爛漫ですが、萬斎さんはご自身いわく理屈っぽいところがあると。演じる上でキャラクターのすり合わせは難しくなかったですか。

狂言の世界には理屈っぽい役柄はないので、そういった意味では、専好さんは狂言的な特徴を持ったキャラクター。1秒も考えずに次のことを思い付くのが狂言なので、あまり分別くさく、理性を持ってというよりは、目の前で起こったことに対して直情的に反応する、という点では演じやすかったですね。ただ、非常にハイテンションだったのでくたびれました(笑)。

Q:懸命に生きる専好の瞳にたまる涙がとても印象的でもらい泣きしました。

今回はよく泣きましたね。たぶん、直情的に演じているという意味で、非常に精神的にも“ヌーディー”な感じはありましたね。泣くという指定もないシーンで、みんなも自然と泣いていましたからね。

Q:生け花のシーンも非常に絵になっていました。かなり練習を積まれたのでしょうか。

いやいや、生け花は先生がほとんどやってくださって、わたしは最後にひと挿しする、その瞬間を撮っているだけなんです。わたしは狂言をやっていますので姿勢はいい方で、背骨をきちんと伸ばして演じると、精神性を持って生けているように見えるんです。狂言師はそういう表現が得意なんです。『陰陽師』のときなどは、そこにいない化け物を受ける演技もやりましたし。そういった意味ではCGも得意ですよ。

狂言師と歌舞伎役者が交わる面白さ

野村萬斎

Q:今回、秀吉を演じた歌舞伎役者の市川猿之助さんと、それぞれの型を出し合いながらセッションを楽しんだ部分はあったのでしょうか。

時代劇は虚構の世界なので、大うそがつけるというか、遊ぶことができるわけです。そういった意味では秀吉との勝負のシーンは面白かったですね。ただ、わたしはホスト役ですので、いかにいい球を猿之助さんに投げて、それに対してどんな反応を示されるのか、という楽しみ方でした。わたしは背負ってきた物語を伝えて、誠心誠意を持って秀吉の心を開こうとする芝居をするしかなかったですが、猿之助さんはリハーサルでいろいろ演技を変えて試していらっしゃいました。

Q:非常に憎々しい秀吉と専好とのコントラストが見事に浮かび上がっていました。

ただの悪役ではなくて、憎々しい面白さ、チャーミングさというのは、歌舞伎の一つの芸のありどころではないでしょうか。それに対して、思慮深さがなく、感性で喜んだり、泣いたり、笑ったりしている専好さんは、太郎冠者(狂言の役柄の一つ)的ともいえますね。

Q:「映画」という枠の中での猿之助さんとの共演は特別なものがありましたか。

伝統芸能の精神が、映画を通して広く発信されるということは、われわれ伝統文化に携わる人間にとっては本当にありがたいこと。その一端を担えたことはうれしかったです。

Q:佐藤浩市さん演じる千利休と専好の心の交流もすてきでした。いい意味での「アマデウス」のモーツァルトとサリエリのようでした。

脚本の段階では、専好が一方的に利休という天才にほだされる形でした。二人を「親友」という関係にするのであれば、利休も専好の影響を受けてもおかしくないと。結果、浩市さんの包容力とお互いの信頼関係によって、天真爛漫な専好と哲学者的な利休との対比がとてもよく出ていたと思います。それにしても「アマデウス」……なるほどね。あちらは仲が悪かったですが、いい意味での「アマデウス」。一つ情報が増えました(笑)。


野村萬斎

心を癒やす花もあれば、毒やとげを持つ花もある。それぞれの個性を認め、バランスよく混在させるのが「華道」とするならば、これはそのまま社会にも当てはまる。狂言という同じ日本の伝統文化に携わる萬斎にとって、あるいは少々息苦しい時代を生きる全ての人々にとって、映画の中の専好は、万物に優劣をつけず、天真爛漫に美を追求する、理想のヒーローといえるかもしれない。

スタイリスト:中川原寛(CaNN) ヘアメイク:奥山信次(Barrel)

映画『花戦さ』は6月3日より全国公開

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